職歴一覧 パスワードで保護してます
YHP OA課開発部員 (1989/10 - 1991/10) †
- 日本的な企業文化が肌に合わず外資系を中心に転職活動をしてました。FedExとかもありましたが、高井戸のYHPにしました。 業務終了後の薄暗く迷路のような通路の先のオフィスでの2段階面接とか懐かしい。面接官は事業部長の市野寿男さんで、最初の部長が安藤治雄さん、直接の上司が坂本孝さん(某ブックオフ社長と同姓同名)でした。 今思っても強力な面子でしたねぇ。
- 最初はUNIXのワークステーションでDTPを行うPublissの開発担当。 私はRichoのA3プリンタードライバーを作成。 PCLのエミュレータのコマンドをRicho用に書き換えるだけだけど、A3のLaserPrinterはRichoだけだったみたい。
- そのあと、Graphic Editorの開発。 VISIOみたいなツールだけど、こちらの方が先行していて、今思うとかなり先進的なソフトでした。 コマンドの体系を決めたり、保存するファイルの仕様を決めたり、X上のMotif対応+Starbase(HPのグラフィックライブラリ)を組み込んで、GUIで図形編集を行い、プリンターに出力、プロッター出力も可能にしてました。要件定義から外部設計・内部設計、全部で2万行ちょっとのC言語ソースの作成・デバックに、製品化テスト、マニュアル作成、カタログ作成などマーケティングの一部など、ソフト製品開発の基本的なことを一通り経験しました。 ただ、プロジェクトは大幅遅れで、大赤字の上に、製品は全く売れなかったですけど。 今思うと、製品のアウトプットの品質に対するこだわり(例えばフォントや線のきれいさ)もなく、難しく不要な機能は先送りするという早めの判断、なにより計画的に物事を進めて、ゴールを達成するという基本ができていなかったと思います。
[2025/4/21]
凸版印刷 生産技術研究所 (1987/4 - 1989/9) †
- 工場の自動化システム構築です、SonyのNEWSにCでプログラムを作ってました
- 比較的全国の工場を回りましたね。あまり活躍できなかったですね。杉戸の研究所勤務です。久喜に一軒家を借りて住んでました
- Unix(BSD), SonyNews, Workstation, C言語, MASM(アセンブラ)
- 杉戸の総合研究所に押し込められて、車で通勤(久喜のアパート)、はんだごてとセンサーの部門で、色々な工場をめぐりました、なんだか何もできない私が肩書だけで大事にされたり、研究?に一生を捧げるのが良いのか悩む、HPのマニュアルが素晴らしいことから、HPがいいかなと思い始めた頃、当時は駅から見えるけれどなかなかつかない研究所、自由だけどこのままでよいのかと思う日々、三菱ミニカで週末実家に戻る日々、東北自動車道から環八、第三京浜、横浜新道と車を飛ばした
[2024/3/25]
凸版印刷 CTS Programmer (1986/4 - 1987/3) †
- 間取り図システムの関数作成、福田繁雄のポスター制作サポート
- PL/1でMFのプログラムを組んだし、紙テープやオープンリールが活躍していましたね。勤務地は板橋です。川口から通ってました
- PL/1, MainFrame(Fujitsu Mシリーズ), 日本語タイプライタ, CTS(Computer Typographic System),
- PCでC言語、Turbo-Pascal, PAD図で設計して大失敗, 川口でアパート暮らし、大家さんは鋳物工場、隣は市民会館、最初は公衆電話で実家に連絡、今は建て替えられて跡形もなし、自炊していたが店が閉まるのが早くてコンビニでニラを買ったり、ご飯とみそ汁の生活、土日はバイクで実家で跨線橋を超えてアパートに帰る、フォントサイズとカスタム活字を使ってドットが自由の女神といった福田繁雄の支援を行いました、色々面白かったけど給料は安かったかも
[2024/3/25]
テンプレート(start - end) †
- 業務名、プロジェクト内容
- そこで学んだこと、技術要素
- 個々の技術要素詳細:思い出しながら
- トピックス、話題、ブログの卵
[2024/3/25]
|